アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 – 世界遺産誕生のきっかけとなった古代エジプトの遺跡群

アブ・シンベル大神殿

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群/Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae:概要、歴史、見どころ、アクセス・行き方、感想など

「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」は、1979年に登録された世界遺産(文化遺産)です。アスワン・ハイ・ダムの建設により遺跡群の水没が予想されたことから、これらを守るための国際的な救済キャンペーンが行われ、それが世界遺産条約の誕生へとつながりました。

 

アスワン・ハイ・ダムと世界遺産の誕生

アスワンのナイル川には2つのダムがあります。1901年に完成したアスワン・ダム(アスワン・ロウ・ダム)と1970年に完成したアスワン・ハイ・ダムです。ナイル川の氾濫防止、灌漑用水の確保、水力発電による電力確保などを目的としていますが、アスワン・ロウ・ダムだけでは能力不足で、アスワン・ハイ・ダムが建設されることになりました。1960年に建設が始まったアスワン・ハイ・ダムは、資金や技術などの課題があったものの、当時のソ連の協力もあり、堤長3,600m、堤高(水面からの高さ)111mで世界最大級のダムが1970年に完成。ダムによりできた人工湖は当時の大統領の名をとりナセル湖と呼ばれていますが、この湖は長さ550km、面積は5,250 km²。日本で26番目に大きな愛知県の5,165 km²よりも広い面積を持ちます。

これだけの湖ができることから、アスワン・ロウ・ダムの建設で既に半水没だったフィラエ神殿(イシス神殿)をはじめナイル川周辺にあるナビア遺跡群が水没することが予想されました。この危機に対して、ユネスコ(UNESCO:国連教育科学文化機関)がヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始し、60ヶ国の協力などにより、技術支援、考古学調査支援、移設などが行われました。

このキャンペーンの結果、世界的な価値を持つ文化遺産を守ろうという機運が盛り上がりました。一方で、同時期に自然保護、環境保護の国際的な動きも活発になっていました。両者は一本化され、1972年11月、ユネスコのパリ本部で開催されたユネスコ総会で「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」が満場一致で成立。1975年に締結国が20か国に達し、条約は正式に発効しました。世界遺産の第一号が誕生したのは、1978年。自然遺産4件、文化遺産8件の合計12件が登録されました。世界遺産誕生のきっかけともなったヌビア遺跡群ですが、登録されたのは翌年の1979年のことでした。ちなみに、世界遺産第一号には、ガラパゴス諸島やイエロー・ストーンなど日本でも有名なところが含まれていますが、文化遺産には、唯一、ポーランドのクラクフ歴史地区の名前を聞いたことがある程度で、私でも知っているところはほとんどありませんでした。現在、世界遺産は1,000件を超えているそうです。

ヌビアとは

ヌビアとは、ナイル川のアスワンからスーダンのハルツーム までにかけての地域のことをさします。ヌビアの名は古代エジプト語で「金」を意味する「ヌビ」に由来するそうです。この地域からは金などの鉱物資源や象牙、香料、黒檀、石材などを産するとともに、より南部との交易路として重要な役割を果たしてきました。そのためエジプトの中王国時代の第 11王朝(紀元前2134年頃-紀元前1991年頃)よりヌビアの征服が開始されました。古代エジプトが最も栄えたといわれる新王国時代(紀元前1570年頃-紀元前1070年頃)には、この地に多くの神殿などが建設されました。威光を示すためだったのかもしれませんね。

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「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の主な見どころ

アブ・シンベル神殿(Abu Simbel temples)

アブ・シンベル神殿は、ラムセス2世が建設を命じたもの。ラムセス2世(在位:紀元前1279~紀元前1212年)は、新王国時代第19王朝(紀元前1293年頃 – 紀元前1185年頃)の王で、「建築王」とも呼ばれるぐらい数々の建物を建てています。

アブ・シンベル神殿は、太陽神ラーを祭っている大神殿(ラムセス2世自身のための神殿)と、ハトホル女神を祭っている小神殿(王妃ネフェルタリのための神殿)の2つの神殿から成り立っています。

年月の経過とともに神殿は砂に埋もれてしまったようですが、1813年に発見され1817年に出入口が発掘されたそうです。

水没の危機に際しては、1964(1963?)年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた現在地に移設されました。移設には360万ドルの費用がかかったとか。

奥がアブ・シンベル大神殿、手前がアブ・シンベル小神殿

アブ・シンベル大神殿

大神殿の表に見える4体の巨像はすべてラムセス2世。高さはおよそ22mあるそうです。左から右の順に若いころから老年までの顔になっているという説があります。左から2番目の頭部が落ちていますが、これは完成後、数年後の地震で落ちた状況を、移転後も忠実に再現したそうです。足元の像はラムセス2世の子どもたち。巨像の足のところに「MUGNAINI 1887」「LECAROS 1875」という文字が彫られているのを見つけました。人名と年号だと思います。発掘調査の記録でしょうか。

内部は撮影禁止です。外からなら大丈夫なようで入り口のところから撮りました。

神殿の最も奥にある至聖所に1年に2回、太陽の光が届き、ここにある4体の像のうち冥界の神・プタハの像を除いて3体が照らし出されるそうです。もともとはラムセス2世の誕生日2月22日と即位した日10月22日に光が届くように計算して作られていたようですが、移設により今は違う日らしいです。内部では、戦いの様子を描いたレリーフなどが見られるほか、呪文が書かれたパピルスなどが置かれていたという図書室も見られます。これらもとても美しいものでした。

王妃のための小神殿

王妃ネフェルタリ像を挟むように2体のラムセス2世像が配されそれがセットとなり、入り口の左側と右側とそれぞれにあります。ネフェルタリとは「最も美しい女性」という意味だとか。完成前にネフェルタリは亡くなったようです。生前から自分のために神殿を作ってもらうなんて、ラムセス2世の愛だったのでしょうか。

こちらも内部は撮影禁止。内部の広さは当たり前といえば当たり前ですが、大神殿より狭かったです。

アル・シンベル神殿へのアクセス・行き方

エジプトの最南端、スーダンとの国境近くにあります。アブ・シンベルには空港があり、そこからバスで10分ぐらいだそうです。鉄道の場合はアスワンまで行き車で移動することになります。安全上の理由からかアブ・シンベルに向かう車両はコンボイ(車列)組んで砂漠を移動します(実際のところはきれいに列を組むようなかたちではありませんでしたが)。アスワンからアブ・シンベル神殿までは、砂漠の中を突っ走り3時間ぐらいかかりました。

日本からのパック旅行なら移動の心配は必要ないでしょうが、私は現地ツアーを利用してアブ・シンベル神殿を見学しました。

時速100km以上で砂漠の一本道をひた走ります

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イシス神殿(フィラエ神殿:Temples of Philae)

もともとフィラエ島にあったためかフィラエ神殿とよばれている神殿は、日本では「イシス神殿」という名の方が知られていると思いますが、エジプト神話に登場する豊饒の女神・イシスにささげられたものです。イシスはギリシア語の名前で、古代エジプトではアセトと呼ばれたそうです。

建設はプトレマイオス朝(紀元前306年-紀元前30年)の時代ですが、6世紀に東ローマ帝国により神殿は閉鎖され、キリスト教の教会として利用されたとか。「ハドリヌス帝の門」とか「トラヤヌス帝のキオスク」と呼ばれるものも残っていて、古代ローマとの密接なかかわりがうかがい知れます。

イシス神殿がもともとあった場所では、アスワン・ダムができた時に神殿は半水没状態になったそうです。神殿には今でもどこまで水没していたのかがわかる跡が残っています。アスワン・ハイ・ダムの建設で完全に水没するところでしたが、ユネスコの協力で現在地に移設されました。ほんとに美しい神殿でした。

アスワン・ロウ・ダムの建設で水没していた部分との堺がはっきりわかります

イシス神殿(フィラエ神殿)へのアクセス・行き方

アスワンから車で船着き場まで行き、そこからアスワン・ロウ・ダムの横を通りながら小舟に揺られて数分ぐらいです。ここも現地ツアーで訪れました。

カラブシャ神殿(Temple of Kalabsha)

アスワンの南約50kmのナイル川沿いに建てられていましたが、1970年にアスワン・ハイ・ダムの近くの現在地に移築されたそうです。この神殿は、ヌビアの太陽神マンドゥリスがまつられるなどヌビアの神々に捧げられたものだそうですが、シリス神やイシス神などエジプトの神々のレリーフやヒエログリフも残っているそうです。未訪問。

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ひとこと

ヌビア遺跡は当初はそのまま水没させてしまう予定だったとか。20件以上が移設されたそうですから、救われて本当に良かったと思います。

アブ・シンベル神殿やイシス神殿などは、個人では少し行きにくい場所にあると思いますが、うまく現地ツアーなどで行ってみたらいかがでしょうか。それだけの価値はあると思います。もちろんテロなどの動向には十分な注意が必要なのはいうまでもないことですが。

info

アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群/Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae

  • 訪問日 : 2018年1月5日、6日
  • 所在地 : エジプト/アブ・シンベル、アスワン
  • アクセス :アブ・シンベル神殿まではカイロから空路でアブ・シンベルまで。または鉄道でアスワンまで行きそこから車。イシス神殿まではアスワンから車で最寄りの船着き場まで、そこから船で数分
  • 登録年 : 1979年
  • 登録区分 : 文化遺産
  • 開 館 : -
  • 入館者数:-
  • 入場料 :大人・個人・当日・外国人の入場料は、アブ・シンベル神殿が160エジプト・ポンド、イシス神殿が100EGP。ちなみに、アスワン・ハイ・ダムは30EGP
  • 開館時間: -
  • 休館日 : -
  • ユネスコ世界遺産センターURL : https://whc.unesco.org/en/list/88/

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