マカオ歴史地区/The Historic Centre of Macao:概要、歴史、見どころ、アクセス・行き方、感想など
「マカオ歴史地区」は2005年に登録された世界遺産(文化遺産)。16世紀半ばから1999年までポルトガルの支配下にあったマカオには、中国とポルトガルの文化が融合した歴史的な建造物や広場などがあります。
マカオの歴史
マカオにポルトガル人が訪れ交易をはじめたのは、1513年のことだそうです。中国(明)は、倭寇討伐の協力の代償として、1557年にポルトガルの永久居留権を認めました。その結果、マカオはポルトガルにとって重要な貿易拠点となるとともに、日本や中国へのキリスト教布教の拠点になりました。ちなみに、フランシスコ・ザビエルが戦国時代の日本にキリスト教を伝えたのは1549年のこと。ザビエルの遺体の一部はマカオの教会におさめられているそうです。
ポルトガルがマカオを完全に植民地化したのは1849年で、その後、中国(清)は1862年にポルトガルの統治権を認め、1887年に友好通商条約を結びポルトガルの永久占有を認めました。
中国とイギリスの香港返還交渉と並行するかたちで、中国とポルトガルのマカオ返還交渉も行われ、マカオは1999年に中国に返還されました。
マカオ歴史地区の概要
マカオ歴史地区には、22の歴史的建造物や8か所の広場などがあります。これらにより、東洋(中国)と西洋(ポルトガル)の文化の融合を見ることができます。
ユネスコの世界遺産のサイトには、マカオ歴史地区の概要として次の記載があります。
国際交易の戦略上、重要な地点に位置したマカオは、16世紀半ばから中国に返還された1999年まで、ポルトガルの統治下にあった。歴史的な街道や、ポルトガル風や中国風の家並み、宗教的な建物・公共建築が集まったマカオの歴史地区は、東西の美意識や文化・建築、そして技術が融合した姿を留めている。また、この登録地には、中国で最も古い灯台も含まれている。マカオ歴史地区は、国際貿易が活気に満ちあふれ始めた当初からの、また最も長期にわたる中国と西洋との邂逅(かいこう)の証のひとつである。
~ユネスコ・世界遺産サイトより~
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マカオ歴史地区の主な見どころ
マカオは広大な都市ではなく世界遺産の建造物や広場などは比較的コンパクトにまとまっていて、見学もしやすいといえます。22の歴史的建造物と8か所の広場のうち、下記を見学しました。
媽閣廟(Templo de A-Má)/バラ広場(Largo do Pagode da Barra)
海の守り神「阿媽」を祀るマカオで一番古い中国寺院。創建はマカオの街ができる前、15世紀にさかのぼるとか。訪れた時はとても賑わっていました。境内には「百年夫妻樹」という、どうやら夫婦円満か良縁成就の願いをかけるところがありました。また、こちらが本場なのでしょうけど、沖縄で良く見る「石敢當」もありました。
媽閣廟の前のバラ広場(Largo do Pagode da Barra)も世界遺産に登録されています。
海の守り神を祀る寺院があるからだと思いますが、すぐ近くに海事博物館がありました。残念ながら休館で見学はできませんでした。
民政総署(Edificio do Leal Senedo)
この建物は現役の役所として機能していますが、建築は1784年のことだそうです。「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)というのは、「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」という1654年のポルトガル王による言葉に由来するといいます。訪れた時期が旧正月に近かったので、旧正月の飾り付けがありました。
セナド広場(Largo do Senado)
ここは、マカオの中心にある広場でさまざまなイベントなどが行われるそうです。地面のタイルと旧正月の飾り付けが印象的でした。この広場に面して民政総署や仁慈堂もあり、広場の周りの建物に歴史を感じます。“senado”(セナド)はポルトガル語で「議会」「上院」などの意味。きっと民政総署に面しているので、名づけられたのだと思います。
聖ドミニコ教会(Igreja de S.Domingos)
ドミニコ会のスペイン人修道士によって1587年に建てられた教会。シンプルな祈りの場という印象です。小さいですがとてもきれいな宝物庫=宝物宗教美術館 (Treasure of Sacred Art Museum) がありました。
モンテの砦(Fortaleza do Monte)
マカオが一望できる砦です。重要なマカオの軍事・防衛拠点だったことが、ここからの眺めからもうかがえます。1617年から1626年にかけて建築されたようです。砦内には展示室も設けられていました。丘の上にあるので、ここまで来るのがちょっと大変でしたが、来たかいがありました。
聖ポール天主堂跡(Ruínas de S. Paulo)
マカオのイメージ、シンボルといえばここでしょう。ファサードだけしか残っていませんが、それだけにインパクトがあります。この天主堂は1640年に完成したものの、1835年に火事で大部分が焼失してしまい、ファサードだけが残っています。このファサードの彫刻は、日本を追放された日本人キリスト教徒の職人と現地の職人によるものらしいです。地下には納骨堂や宝物庫がありました。観光客でとても賑わっていました。
仁慈堂(Santa Casa da Misericórdia)
仁慈堂は、医療・慈善福祉活動の拠点として1569年に初代のマカオ司教・カルネイロ司教によって作られた施設です。内部は展示室になっています。また、2階からはセナド広場が良く見えました。
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マカオ歴史地区へのアクセス・行き方
日本からマカオに行くには直行便か香港経由が一般的だと思います。香港経由の場合は、香港の空港から直接フェリーでマカオに向かうことができます。所要時間は1時間強です。また、香港市街からもフェリーで1時間ぐらいです。香港もマカオも乗り場が複数あるので、訪れたい場所やご都合などに合わせて選ぶ必要があります。
ひとこと
マカオでは香港の通貨がそのまま通用します。そもそも香港もマカオも同じ中国なのですから、同じ通貨が通用するのが当たり前。しかし、人民元ではなく現実的に香港ドルやマカオ・パタカがあります。これはまさに植民地だった歴史の表れでしょう。
マカオ歴史地区は、植民地の歴史と切っても切れないですが、東西文化が融合した建築の姿は独特の雰囲気を持っていました。
info
マカオ歴史地区/The Historic Centre of Macao
- 訪問日 : 2018年1月25日
- 所在地 : 中国・マカオ
- アクセス :香港から高速船で約1時間
- 登録年 : 2005年
- 登録区分 : 文化遺産
- 開 館 : -
- 入館者数 : -
- 入場料 : -
- 開館時間 : -
- 休館日 : -
- 公式サイト : -
- ユネスコ世界遺産センターURL : https://whc.unesco.org/en/list/1110/
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