ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域 - 古代ローマをありありと今に伝えている遺跡

ポンペイ遺跡とヴェスヴィオ火山

ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域/Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata:概要、歴史、見どころ、アクセス・行き方、感想など

「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」は1997年に登録された世界遺産(文化遺産)で、古代ローマを現代に伝えているタイムカプセルのような遺跡です。

 

世界遺産としての概要

1997年に世界遺産に登録された「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」は、西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流や火山泥流などで埋もれてしまった「ポンペイ」「エルコラーノ」「トッレ・アヌンツィータ」の3つの地区から構成されています。

この3地区のうちポンペイが最大規模で約66haに及び、そのうち約45haが発掘され、裕福だった当時の商業都市の姿を今に伝えています。

「エルコラーノ」はイタリア語の現在の地名ですが、古代ローマ時代の地名は「ヘルクラネウム」といい、世界遺産の登録名にもなっています。エルコラーノは、ヴェスヴィオ周遊鉄道でナポリからポンペイに行く途中にあります。ここは高級な保養地だったようです。

トッレ・アヌンツィータは、ポンペイから約2.5km離れているところにあります。オプロンティ(Oplontis)遺跡では発掘された当時の高級別荘を見ることができます。

ヴェスヴィオ火山の噴火

ポンペイなどを埋没させてしまったヴェスヴィオ火山の噴火は、西暦79年8月24日に起きました。今から1900年以上も前のことです。

ヴェスヴィオ火山は、複数回の噴火をしていますが、ポンペイなどを埋没させる前、紀元前217年にも大きな噴火があったようです。しばらくは落ち着いていて人々が活火山だということを忘れ始めていた頃、1世紀に入ると地震が頻発するようになり、西暦62年には大きな地震が襲いポンペイやその周辺都市に大きな被害を与えました。これで終息したかと思われていた災害ですが、17年後の西暦79年、大噴火が起きました。

その後もヴェスヴィオ火山は、432年(472年?)や1631年に大きな噴火を起こしています。

余談ですが、東京ディズニーシーのプロメテウス火山は、ヴェスヴィオ火山をモデルにしているらしいです。

ポンペイ遺跡:Pompei

商業都市として栄えたポンペイ

ポンペイには紀元前7世紀以前から集落が形成されていたようですが、はっきりしたことはわからないようです。紀元前6世紀頃から次第に都市となり、その後、ギリシアの影響も受けたのち、ローマの影響下に入り、紀元前89年(紀元前80年?)にローマの植民都市となりました。

ポンペイは、地の利を生かして、港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶなど地中海貿易の拠点、商業都市として繁栄しました。また、同時に、ポンペイはブドウの産地でワイン製造も盛んだったようです。最盛期には約2万人もの人々が暮らしていたといいます。

西暦79年8月24日

西暦79年8月24日にヴェスヴィオ火山は大噴火します。この噴火は13時頃にはじまり、水蒸気爆発もあり噴石がポンペイなど周辺の街を襲ったようです。火砕流もたびたび発生したようですが、最大のものは25日の朝7時頃。時速100km以上という火砕流はポンペイの人々が逃げる間もなく一瞬にして街を飲み込んでしまいました。こうしてポンペイは一日にして4~5mの火砕流・火山灰に覆われてしまいました。その後、忘れ去られたかのように埋もれたままでした。

ポンペイの発掘

完全に消滅したと思われていたポンペイですが、1599年に建物の一部が発見されました。発掘は長らく行われませんでしたが、1709年にエルコラーノ遺跡が発見されカルロス3世の命により1738年に発掘が開始され、続いてポンペイでも1748年に発掘がはじまりました。1760年からより体系的な発掘調査が行われるようになり、さまざまな発見が相次ぎ、豊かな商業都市ポンペイの姿が次第によみがえりはじめました。発掘は19世紀などにも断続的に行われています。

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火山灰のタイムカプセル

火山灰などで空気から遮断されていたため、保存状態が良かったようです。また、短時間に埋没したことにより、当時の人々の暮らしがそのまま残っているのも大きな特徴です。1863年に発明された火山灰の中の人体が分解してできた空洞に石膏を流し込み人体をかたどる方法によって、犠牲となった当時の人々の姿をリアルに見ることができるようになりました。最初、あの人体の姿は火山灰の影響か何かで人体が石化したのかと思っていたのですが違いました。

発掘当初は生き生きと往時の姿を伝えていましたが、空気・雨・風にさらされたことに加え不十分な保存措置、戦争、観光客の増大などで劣化が進んでしまいました。2010年には「剣闘士の家」が、2011年には「ポルタノラの壁」が倒壊することなども起きました。しかし、現在では、イタリア政府やEUなどの資金で保存修復措置が適切に行われています。特に、2013年からは修復工事が強力に推進されているようです。保存修復工事を行っているため、見学できない建物もありますが、これは理解しなければいけないことでしょう。

見どころだらけのポンペイ遺跡

地図とガイドブックは必携です。

ポンペイ遺跡についたら、まずはインフォメーションで、地図とガイドブックを入手した方がいいと思います。どちらも無料で入手できます。ガイドブックは日本語もありますし、公式サイトからダウンロードもできます。

「ポンペイ遺跡ガイド」 http://pompeiisites.org/wp-content/uploads/Pompeii_JA.pdf

滞在時間ごとのモデルコースもありますので、参考に見学ルートを考えるのもいいかもしれません。

入り口はいくつかありますが、こちらはヴェスヴィオ周遊鉄道のポンペイ・スカヴィ駅のすぐ近くの「マリーナ門」。インフォメーションもありますので地図やガイドブックを入手しましょう

見どころとして人気があるのは、フォロ、フォロ浴場、スタビアーネ浴場、アポロ神殿、円形競技場、秘儀荘、ヴィーナスの家、悲劇詩人の家、商店街のアボンダンツァ通り、娼館などの名前が上げられることが多いようです。

ガイドさんがいた方がいいと思いますが、見どころに拘らずに、無料のガイドブックを片手に回るのでもかなりいいと思います。

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古代ローマが感じられるポンペイ

碁盤の目に区画された街並みの石畳の通りを行くと、神殿、円形競技場、劇場、公衆浴場、居酒屋や娼館、貴族の邸宅など往時の賑わっていたポンペイの姿を感じることができると思います。建物の角から昔の人がひょいと現れるのではないかと錯覚してしまうほどタイムスリップ感を味わえるかもしれません。

ポンペイ・レッド」ともいわれる美しい赤色の壁画やモザイクの緻密さ、おおらかな性表現にも出会いいろいろな発見があることは間違いないと思います。

ポンペイへのアクセス・行き方

ナポリからポンペイ遺跡に行くなら、ヴェスヴィオ周遊鉄道(チルクムヴェスヴィアーナ鉄道:Circumvesuviana)がわかりやすいと思います。

駅は、ナポリ中央駅の地下にあり、ナポリ・ガルバディ(Napoli Garibaldi)駅という名前です。ソレント(Sorrento )方面行に乗り、ポンペイ・スカヴィ駅(Pompei Scavi:Villa dei Misteri)で降ります。駅を降りたら右の方に歩いて50mとか100mぐらいでポンペイ遺跡の入り口です。

ナポリ・ガルバディ駅は始発駅ではないようですし、ホームには行き先が違う電車も入ってくるので、間違った電車に乗らないように注意が必要です。乗るのはソレント行きです。乗車時間は30分~40分ぐらいでした。エルコラーノ遺跡に行くのも同じ電車で、ポンペイより手前にあります。

ポンペイ遺跡へは、イタリアのJRみたいな鉄道会社・トレニタリア(Trenitalia)でポンペイ駅まで行って徒歩約10分という方法もあるようです。

なお、行き帰りとも同じ駅を使うのなら、往復キップを買うか、ポンペイ・スカヴィ駅に着いたら帰りのキップを買っておいた方が良いと思います。閉園間際の時間はかなり混みます。それから、ヴェスヴィオ周遊鉄道の電車はお世辞にもきれいとはいえないので、ちょっと不安になるかもしれません。

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エルコラーノ(ヘルクラネウム)遺跡:Ercolano(Herculaneum)

エルコラーノの遺跡が発見されたのは、1709年。井戸を掘っていて偶然発見されたそうです。ポンペイに先立ち1738年から発掘が始まりました。

ポンペイとの違いは、ポンペイが火砕流で4~5m程度の深さに埋もれていたのに対し、エルコラーノは火山泥流で20mもの地中深くに埋まっていたことと地下水による湿度のため、木や紙が炭化してはいても燃えたりせず残っていることなどにあるようです。ここで発見された遺物はナポリの考古学博物館に収蔵されています。また、人骨も多く発見されていて人類学的な調査研究も行われています。

この遺跡は高級リゾートだったようで、高級別荘、共同浴場、劇場などが発見されています。

トッレ・アヌンツィータ(オプロンティ)遺跡:Torre Annunziata(Oplontis)

トッレ・アヌンツィータのオプロンティ遺跡は、ポンペイから約2.5km離れているところにあります。ここには、皇帝ネロの2番目の妻・ポッパエア(Poppaea)の別荘だと考えられている邸宅があります。発見されたのは1590年ですが、発掘が行われたのが1839から1840年。ただ資金不足のため中断され、1964年から1984年にやっと本格的に発掘調査が行われました。

トッレ・アヌンツィータでは、ポッパエア邸の300mほど東で邸宅がもう一邸発見されています。こちらは1974年に学校建設中に発見されたそうです。

ここで発見された遺物もナポリの考古学博物館に収蔵されているようです。

ひとこと

タイムスリップしたかのように古代ローマを感じることができます。行って良かったです。まる一日いましたが足りないぐらい。見ごたえがありました。ぜひまた行きたいところで、今度はエルコラーノやトッレ・アヌンツィータの遺跡にも行ってみたいです。

それにしても、このような遺跡を発掘・調査し、保存・復元する労力にはほんとうに敬服します。

info

Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata

  • 訪問日 : 2017年12月29日
  • 所在地 : イタリア・ポンペイ
  • アクセス : ナポリからポンペイ遺跡まではヴェスヴィオ周遊鉄道で30~40分程度。Pompei Scavi:Villa dei Misteri駅から徒歩1~2分
  • 登録年 : 1997年
  • 登録区分 : 文化遺産
  • 開 館 : -
  • 入館者数 : 3,382,240人(ポンペイ遺跡。2017年)
  • 入館料 : 15ユーロ(ポンペイ遺跡。大人・個人・当日) ※私が行った時は13ユーロだったのですが、値上げされたようです
  • 開館時間 : 4月-10月 8時30分または9時~19時30分、11月-3月 8時30分~17時30分(ポンペイ遺跡)
  • 休館日 : 1/1、5/1、12/25(ポンペイ遺跡)
  • ポンペイ遺跡公式サイトhttp://pompeiisites.org/
  • ポンペイ遺跡の日本語ガイドブック: http://pompeiisites.org/wp-content/uploads/Pompeii_JA.pdf
  • ユネスコ世界遺産センターURL : https://whc.unesco.org/en/list/829/

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